2026/01/20 09:00
「キャアアアア!」
画面の中の女優さんが叫ぶのと、どちらが早かったか・・・。
中学生の頃、深夜にこっそり見ていたホラー映画。クライマックスに差し掛かったところで「いつまで起きてるの!」と背後から親に怒鳴られた。
私は女優さん以上の悲鳴をリビングに響かせた。
テレビは一家に一台の時代。
かつて、夜の9時は「大人の時間」の始まりを告げる境界線でした。そのラインを越えた先にあるテレビの世界は、どこか妖しく、恐ろしく、そしてどうしようもなく魅力的だと、少年の自分は感じていました。
ちょっと色っぽい番組や、今ではありえない過激なホラー、誰が考えたんだ!と突っ込みたくなるような実験的な番組の数々・・・ドキドキしました。
しかし今、そんな「刺激」は画面から消えつつあります。この「健全化」こそが、テレビ離れを引き起こしている大きな要因なのではないでしょうか。
1. 「誇り」と「境界線」があった昭和のテレビ
40年ほど前、テレビにはまだ「制作者のプライド」が色濃く残っていました。
- お笑い:ネタをじっくり見せる「芸」の場。
- 情報・ドキュメント:社会の深層に切り込む誇り高い発信。
- 一般参加:クイズ番組などで「一般人」が主役になれる真剣な舞台。
また、当時は家庭内に「大人と子供の境界線」が明確にあり、境界の番人として親の存在が明確にありました。
親の存在により「子供は21時に寝るもの」という不文律が確立され、深夜の少し色っぽい番組や過激な演出は、大人がひっそりと楽しむ「未知の世界」として存在していたのです。
2. 1990年代:変質するコンテンツと「SNS」の予兆
1990年代に入ると、番組の作り方が一変します。「意味」よりも「ノリと勢い」が重視され、コンテンツは細切れに。
- 過剰なテロップとナレーションによる情報の「方向付け」。
- 本来のテーマを逸脱してでも「ウケる瞬間」を切り取る構成。
この「短尺化」と「インパクト重視」の姿勢は、皮肉にも現在のTikTokやYouTubeショートといったSNSコンテンツの先駆けとなりました。
テレビが自ら蒔いた「スピード感」の種が、のちにネットという土壌でより強力に花開くことになったのです。
3. コンプライアンスの強化と消えた「刺激」
テレビの内容が変化する一方で、避けて通れない事実がありました。
テレビや映画、ビデオ作品の過激な表現を模倣した凄惨な事件の発生です。
これらを受けて、テレビ界では猛烈なコンプライアンス(法令・社会規範の遵守)が進みました。
- ホラー作品や残酷な描写の激減。
- 少しでも「不適切」とされる表現の排除。
- クレームを恐れた「全方位に無害な」番組作り。
社会的な責任を果たす一方で、テレビからは「ハラハラするような刺激」や「予定調和ではない毒」が消えていきました。
4. 皮肉な逆転:テレビからゲーム、ネットの深淵へ
しかし、表現の規制には大きな皮肉が伴いました。
テレビから排除された「刺激」や「過激な表現」は、決して消滅したわけではありませんでした。
それらはビデオゲームやインターネット配信といった、より没入感が高く、若者に身近なメディアへと引き継がれていきました。
テレビが「誰が見ても安心な箱」を目指して去勢されていく一方で、若者たちはより刺激的で、より自分の感性に近い(そして時にはより危険な)表現を、スマホやゲーム機の中に求めるようになったのです。
結びに:テレビが失った「特別な場所」
かつてのテレビには、大人の世界を覗き見するようなドキドキ感や、プロの矜持を感じさせる深みがありました。
しかし、スピード感を追求してSNSの雛形を作り、一方でコンプライアンスによって表現の牙を抜かれた現在のテレビは、若者にとって「自分たちのための熱狂がある場所」ではなくなってしまったのかもしれません。
各家庭で「テレビとの付き合い方」を模索していた時代から、個々人が手のひらの中で「際限のない表現」に触れる時代へ・・・。
若者のテレビ離れの本質は、メディアが負うべき「責任」と、大衆が求める「刺激」のバランスが、テレビという枠組みを超えてしまったことにあるのではないだろうか。
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