2025/09/16 09:00

みなさん、猫すきですか!かわいいですよねぇ~。

今回はいつもと趣のちがうお話をしたいと思います。

 

これは20年くらい前の話。

動物愛護の機運が高まっている裏で、対策の主流が殺処分であった時代。

地域猫という言葉が定着しつつあった、そんな過渡期でのちょっとした出来事です。

その日の私は、数日前に購入した「高級コンパクトデジタルカメラ」を持って、ウキウキ気分で近所の公園に出かけていました。

 

期待と戸惑い、そして小さな出会い

その日持っていたのは、画質重視の高級コンデジ。

旅先で一眼レフのサブとして使うつもりで、中古で7万円くらいだったかな?

まだスマホのカメラが一般的じゃなかった時代、こういうカメラはステータスでした。

公園の小さな池の周りを歩きながら、まずはテスト撮影。

夕暮れ時、土手の向こうに沈む夕日がとても綺麗でした。

普段は一眼レフを使っているせいか、パネル操作のコンデジは正直ちょっと使いづらかった。

それでも、露出補正機能を使って影をグッと引き締めたり、夕日とのコントラストを試したりして、本格的な撮影とは違う気軽な写真の面白さを感じていました。

 

そんな時、「にゃー」という声が聞こえてきました。

お、ネコがいる!

 

声のする方へ行ってみると、ベンチの上で茶トラのネコがくつろいでいました。

お腹の白い、とても愛嬌のあるネコです。

これはシャッターチャンス!とばかりに、カメラを構えてそっと近づきます。

 

撮影は愛の試練?

しかし、ここで一つ問題が。

このカメラ、画質を追求したぶんズーム機能がおまけ程度なんです。

ネコに警戒されて距離を置かれたら、まともな写真が撮れません。

 

でも、そんな心配は杞憂でした。

そのネコは驚くほど人懐っこかったんです。

カメラを向けようと近づいたら、警戒するどころかスリスリと甘えてきてくれました。

 

「ほわわ~かわええなぁ」と、思わず声が漏れてしまいます。

 

ところが、これが新たな試練の始まりでした。

ネコがスリスリと体を擦り付けてくる → ピントが合わない。

少し離れてカメラを構え直す また体をスリスリしてきてピントが合わない。

 

「う~ん、困ったぞ・・・人懐っこいにも程がある!」

 

何度か同じことを繰り返していたら、猫の方が愛想を尽かしてしまいました。

プイッと横を向いて、尻尾をゆらゆらさせながら寝転がってしまいます。

 

罪悪感と、もう一つのシャッターチャンス

「しまった、撮影に夢中で猫の気持ちを考えてなかった


申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、なんとか顔が見える位置まで移動してカメラを構えます。

すると猫はプイと再び横を向きました。

 

「あれ?もう一回」

 

今度はカメラを構える前に、顔を背けられます。

 

「これはわざとか!?」

 

完全に嫌われた。さっき甘えさせてあげられなかったから、猫の心に傷をつけてしまったのかもしれません。

心がポキッと折れ、もう帰ろうかと思ったその時です。

 

「ニャー、にゃ~ん、にゃおーん」

 

どこからともなく、甘えた声が複数聞こえてきました。

ぞろぞろと猫たちが現れたのです。

 

温かい光が灯す、見えない物語

猫たちが駆け寄っていったのは、大きな荷物を持った一人の男性。荷物の正体は、猫たちのためのご飯でした。

ご飯を食べ始めた猫たちは、おじさんのそばでくつろぎ始めます。

夕日に照らされたその光景は、まるで映画のワンシーンのようでした。

穏やかなオレンジ色に染まった、優しい時間。

 

気づいたら、シャッターを切っていました。

 

おじさんは「個人的な楽しみに留めること」という条件付きで、写真の所有を許してくれました。

今でこそ「地域猫」という言葉が広まっていますが、当時はまだ概念として確立されておらず、苦情があれば野良猫は殺処分されてしまう時代でした。

おじさんは、そんな中で誰にも知られることなく、一人で猫たちに餌を与えていたのです。

あの日の猫たちは、ただ人懐っこかっただけじゃない。

ご飯をくれるおじさんを待っていたんですね。

レンズの奥には、愛を試すような猫とのやりとり、そして言葉にならないおじさんの優しさ、夕日に照らされた温かい風景がありました。

あれから20数年、すっかりその公園へ行くこともなくなってしまいましたが、あの日に撮った写真と、猫たちの温かいまなざしは、今でも私の心に深く残っています。

猫とおじさんの優しい時間、そしてカメラが繋いでくれた小さな奇跡。

あの日の夕日は、忘れられない大切な思い出です。

 

最後に

野良猫の問題は人災である。この問題に向き合うと必ずそこに行きあたります。飼育放棄、去勢・避妊を伴わないエサやり、エサの放置による環境悪化など、人間による無責任な行動が不幸な猫たちを増やしてきました。

1990年代末期、糞尿に苦しむ人々と善意のエサやりを主張する人々、制度上のシステムの不備なども絡み、とてもデリケートな問題となりました。

この頃に殺処分数がピークを迎えました。

現在は多くの人々がこの問題と戦っています。野良ネコの個体数を増やさないTNR活動、地域で見守っていく地域ネコ活動、屋内飼育を目的とする保護・譲渡活動など様々な取り組みがなされています。

あの日のおじさんの行動が、正しかったのか間違いだったのかはもうわかりません。

しかしあの行動が人の優しさから生まれたものだという事は紛れもなく真実です。

他の命を思いやる優しさと、それに伴う責任を考えられれば、なかなか良い未来が待っているんじゃないでしょうか。