2025/07/15 09:00
2025年、春。
ニュース速報が僕のスマホを小さく震わせた。
上野のパンダ、2026年に返還へ――。
その短い一文が、胸にずしりと重くのしかかる。
あの日、日本が揺れた・・・僕が生まれた翌年の狂騒曲。
僕がこの世に生を受けたのは1971年(昭和46年)。
日本が高度経済成長の坂道を駆け上がっていた、そんな時代。
物心ついた頃、日本中がある動物に熱狂していた。
そう、パンダだ。
親に手を引かれ、人でごった返す上野動物園で見た「カンカン」と「ランラン」。
白と黒の毛玉が、もぞもぞと動いている。
人々の熱気、歓声。
幼心に焼き付いたその光景は、カラーテレビの向こう側と、現実とが初めて繋がった瞬間だった。
絵の具とフィルム、僕の写真事始め。
高校時代、僕は美術部で油絵を描いていた。
もっとも、才能なんてものは凡庸で、もっぱら顧問の先生の世間話を聞くのが主だった活動となっていた。
とはいっても、まったく絵を描かないというわけにはいかない。
夏が終わると文化祭や近隣の高校との合同展示会があるため、何かしら提出しなければならない。
なんとなく「楽そう」という理由で風景画を描き始めたが、外で描いていると人の目が気になるし、なにより暑かった。
季節は夏真っ盛り。
仕方なく親父の古い一眼レフカメラ(MAMIYAと記されていただろうか)を借りて、風景画の資料とする写真を撮り始めたのが僕とカメラの出会いだ。
当時はあくまで絵の補助。
主役はパレットの上の絵の具で、写真は日陰者の存在だった。
写真屋で知った「沼」!? 30歳の遅咲きデビュー。
本格的に写真の世界に足を踏み入れたのは、30歳で写真屋に勤め始めてからだ。
現像・プリント(DPEなんて、もう死語だろうか)のために持ち込まれる、数えきれないほどの写真。
家族の記念日、恋人との旅行、我が子の運動会。
他人の幸せな「一瞬」を眺める毎日。
「お前も、撮ってみろよ」。
店長にそそのかされ、なけなしのボーナスでCanon EOS 3を手に入れた。
休日はもっぱら山や渓谷へ。
誰にも邪魔されず、ただひたすら光と影を追う時間は無口な僕にとって心地よく、ひたすらに写真に没頭していった。
その甲斐あってか、小規模なコンテストで「賞」を頂けるくらいの腕前にはなっていた。
40歳、新たな被写体との出会い。
風景写真家を気取っていた僕が、動物園にレンズを向けるようになったのは40歳を過ぎた頃。
きっかけは、本当に些細なことだった。
風景写真にマンネリを感じていたのかもしれない。
撮ってみて、すぐにその難しさに直面した。
風景は僕を待ってくれるが、動物たちは違う。
気まぐれで、予測不能。
ガラスの反射や檻の金網という、厄介な障害物も多い。
でも、その難しさこそが、僕を夢中にさせた。
ピントが合った時の達成感、奇跡の一瞬を切り取れた時の喜び。
気づけば休日の行き先は、静かな山から賑やかな動物園へと変わっていた。
周りは若いカップルや、子供たちの歓声。
その中で一人、大きな望遠レンズを構えるおじさん。
我ながら、なかなかの哀愁が漂っている自覚はある。
だが、やめられないのだ。
パンダ狂騒曲、ふたたび。行列の先に君はいた。
そして、僕の人生に再びパンダブームがやってくる。シャンシャン誕生で日本中が沸いた、あの熱狂。
平日休みを取り、いざ上野へ。
しかし、そこは戦場だった。
数時間待ちの行列、わずか数分の観覧時間。
「かわいいー!」という黄色い声援を背中に聞きながら、僕はファインダー越しに念を送る。
(こっち向け…!頼む、今だ…!)
笹に隠れて顔が見えない。
ずっとお尻を向け、ぐうぐう寝ているだけ。
そんな「ハズレの日」も少なくない。
それでも、あの白と黒の愛らしい姿を見ると、幼い頃の記憶が蘇り、不思議と心が満たされるのだ。長い行列の疲れも、一瞬で吹き飛んでしまう。
我ながら、ちょろいものである。
さよなら、そして、ありがとう。
パンダの返還。
それは、いつか必ず来ると分かっていた「別れ」。
それでも、寂しいものは寂しい。
パソコンのフォルダを埋め尽くす、撮りためたパンダの写真を見返す。
ピントが甘いもの、ブレてしまったもの。
その一枚一枚に、あの日の行列の長さや、シャッターを切った瞬間の高揚感が詰まっている。
「ありがとう」
ファインダー越しにしか会えなかったけれど、君たちがいたから僕の休日はちょっとだけ特別なものになった。
パンダがいなくなっても、きっと僕は動物園に通い続けるだろう。
哲学的な眼差しで微動だにしないハシビロコウを撮り、コツメカワウソの素早い動きに翻弄され、ホッキョクグマのダイナミックな水しぶきに歓喜の声をあげるのだ。
でも、心のどこかで待っている。
いつかまた、このファインダー越しに、新しい「君」に会える日を。
冴えないおじさんの動物撮影記は、これからも続いていく。
もし動物園で、一人黙々とカメラを構える男を見かけたら、それは僕かもしれません。
その時は、心の中でエールでも送ってやってください。